游々自敵

中身のない話と虚無

炭酸は飲めない

 量産型のフラペチーノだって良し悪しがある。作り手によっては氷の大きさがばらついていることもあるから、最後に味のない氷だけがジャリジャリ残るときもあるし、逆にムラなく完成されたものは最後まで均一な味を楽しむことができる。そんな話をしたら彼女は興味なさそうにあくびをした。

「飲めればよくない?」

「私は嫌だよ」

「だーって、誰もそんなの気にしてないよ。かわいいアイテムの一つとしか思ってないでしょ。美味しそうー!ってはしゃいで買って盛れてる自撮り撮るだけだよ」

「少なくとも私は違うもん」

「へぇ」

 彼女がペットボトルのコーラを開ける。プシュ、と小気味いい音がした。ペットボトルはフラペチーノより安くて均一だ。高く金を払っているのにクオリティにばらつきがあるのは納得がいかない。でも彼女が言ったようにそんなことを気にする人間なんてほとんどいないんだろう。自分が変わり者なのはわかっている。

「それなら買わなきゃいいのに」

「それは、そうだけど」

「まぁでも、わからなくはないかな」

 甘ったるい匂いが鼻をつく。顔をしかめると彼女はへらりと笑って、一口だけ飲んだコーラを私に押し付けた。

「あげる」

「いらない」

「均一も不均等も嫌なんでしょ。これなら文句言えないじゃん」

 開封されたペットボトル、一口だけ減ったコーラ。目をぱちくりさせている私に彼女は声を上げて笑い、私のカバンにそれを押し込んだ。

「早く行かないと席取られるよ」

 先を行く彼女の背が少し小さくなってから、ようやく私は彼女を追いかけた。隣を似たような服を着て似たようなメイクをした誰か同士が歩いていく。

 

いつだか書いた話のリメイクでした。特に意味もないし、内容はフィクションです。

透き通る冬の匂いは私の青い春

こんにちは、前回の記事が地味に伸びたので「いったい何人が検索したんだろうなぁ」と思わずしたり顔をしてしまった荻野です。身内で二人いました。でもなんとなくありそうだよね。私もそう思う。

 


わたしはわたしが生きている世界が結構好きだ。そりゃあ寒さは嫌いなので冬の朝なんて来なければいいと思うし夏のじとじとした蒸し暑い日差しと生温い風に体をどろりと溶かすのだって嫌いだし春と秋の花粉で顔面がズルッズルになるのも嫌だ。

でも、冬の朝に鼻をすん、と鳴らした瞬間に飛び込んでくる澄み切った氷のような冷たさを感じる冬の匂いとか、抜けるような眩しい青空に映える白い入道雲とか、春風と踊る桜吹雪とか、そういうものは見ていて好きだし、美しいと思う。

低気圧の引き起こす体調不良は大嫌いだけど雨が降る直前の匂いは好きだし、大きな音は嫌いだけど雷鳴はわくわくしてしまったりする。寒さも冷たさもできれば味わいたくないけど新雪を踏みしめるのは好きだ。


わたしは我儘で傲慢なので地球がわたしに適応しろ、と常々思っているし、わたしがわたしの世界の中心だとも思っている。だけどどうにもならないことも知っているから、その主張を引っ込めることはないけれどどうにもならないなりにわたしの世界を謳歌している自信はある。

 


わたしは世界を美しいと思っている。だから自分の文章を半年後、一年後、二年後に読み返したとき、「うわ、この時こんな表現思いついてたんだ、すごいな」と思うときもある。自画自賛になるが、自分が世界に産み落とした世界の美しさを謳った作品をどうして美しいと思わずにいられるのだろうか。


私は絵に描いたような青春を送っていない。人並みに友達はいたし、文化祭の中心メンバーとして盛り上げることができたと思うし(多分)、運動神経はないから部活も体育祭もボロボロだったけど、人並みの楽しい高校生活を送った。中学生の頃の話は訊かないでほしい。

でも、漫画やアニメで見るような青春は当たり前だけどどうしたって送れるはずがない。だけど、それでも、私はその高校生活で一度だけ、胸張って「これは私の青春だった」と言える瞬間がある。


高二の冬、どんよりとした曇り空の朝。制服を身に纏い、リュックを背負ってバーバリーのマフラーを巻いていたと思う。家の門を閉じて鼻をすんと鳴らした。


冬の匂いがした。


未だに忘れられない。あれはどうあっても冬の匂いだった。私は冬生まれだけど寒さがとてもとても苦手だから憂鬱だったのだが(マフラーを巻けるところだけが好きだった)、少しだけ冬が好きになった。

それから二回冬が過ぎた。私はあれ以来まだ冬の匂いを感じられていない。

馬鹿げていると笑うだろうか。それでも結構だ。でも私はあの瞬間が私の人生で一番の青春だったと思う。青い春ではなくて冬だったし、どんよりした曇り空だったけれどそれでも私の全てがそこにあったのだ。

 


満員電車に揺られていると、無感情な機械に成り下がりそうになる。それでも、私があの日感じた冬の匂いと世界の美しさを思い出すと、人間として頑張ろうかな、と思えたりするのだ。


世界は誰かが思っているよりも美しい。それを常に実感しなくてもいいけれど、ふとした瞬間に思い出してみると、ちょっとだけ世界の解像度が上がるかもしれない。

きらめきに連れ去られたらさよならしよう

どうも、風邪を引いた後に足を捻って死を覚悟している荻野です。めちゃくちゃ災難過ぎて笑っちゃった。

 

 

「君がパパの目のきらめきだったころから(意訳)」(When you were twinkle in your father's eye)ということわざをご存知だろうか。

「目に入れても痛くない」というか要は「超可愛い~~~~!?!?!?何!?!?!?天使!?!?!?可愛い~~~~!!!!昔からめちゃくちゃ可愛かったんでしょ!?!?!??!!(意訳)」みたいな意味の言葉なのだが、初めて知ったときそれはもう感動した。この言葉を思いついた人、天才じゃない?って思った。ので語ります。

 


まず「ママ」じゃなくて「パパ」なのがいいな、と思った。確かに「ママの目のきらめき」(twinkle in mother's eye)だとなんかしっくりこない。パパの目のきらめきだからこそ言葉が生き生きしているように思える。

 あと「目のきらめき」って言葉が絶妙だ。「目が輝く=希望に満ち満ちている」って感じで使うから、「希望=かわい子ちゃん」というか、とにかくきらきらと輝いたもので素晴らしいということが言葉から伝わってくる。


私はこの言葉を使った場面を見たことがないし(当たり前だ)、どう使えばいいのかよくわかんないけど

「君すっごく可愛いね、パパの目のきらめきだったころからそうなんでしょ?」みたいな感じで口説くんだろう。多分。知らん。ナンパされたことないから知らん。

この間悪の教典読んでたら知らん人に話しかけられてめちゃくちゃビビったけど。どうでもいい。

 


これははちゃめちゃな余談なのだがyamadaさんの「ライカ」は私が受験生の時延々と聴いていた曲で、何度聴いてもその圧倒的な表現力にひれ伏してしまう。リリックのセンスと作曲のセンスに恵まれ過ぎでは? 私が迎えられなかった青い春が鮮やかで儚い「青」で描き出されているので暇でも暇じゃなくても聴いてください。よろしくおねがいします。

 


言葉って不思議で、比喩的な並びであればあるほどにそれを鮮明に想像させるようなものもある。私は言霊を信じているし、神は言葉の端々に宿ると思っている。だから天才の文章を読んだときには悲鳴をあげるし口元を押さえるし涙をこぼすし立ち上がって部屋を走り回りたくなるのは仕方ないことなのだ。だって神を見たんだから。しょうがないでしょ。


めちゃくちゃに話が逸れた。閑話休題

冒頭のことわざはきらきらと光り輝くだれかの希望に満ち溢れた眼差しをはっきりと想像させる。比喩的表現とリアリティを共存させるのは案外難しい。だから私はそれを絶妙なバランスで表現しきったこの言葉が好きだし、ずっと忘れないと思う。箱庭とプラネタリウムが好きな私にはあまりにストライクな言葉の並びだし。

 

 

 

 


ところで検索ボックスに冒頭のことわざを入れたそこのあなた。やめておいたほうがいいよ。意味ぜんっぜん違うし、なんだったら言葉の並びも違うから。


全部言葉の並びから私が捻り出した話です。

(「あなたが生まれるずっと前から」って意味だよ。みんな覚えようね。多分使うことは一生ないけど。)

アタシポンコツモノカキロイド

こんにちは、風邪っぴきの荻野です。鼻詰まりが治らずこの世の全てを恨んでいます。喉がおかしいので炭酸が飲めるようになってしまいました。わたしのナイーブな喉を返してくれ。

 


日経新聞の朝刊、一番後ろのページの「私の履歴書」を今月担当しているのがたまたま私が愛してやまない作家でした。悲鳴をあげて二日分の新聞を漁り、切り抜いたのでスクラップブックを作るつもりです。


阿刀田高は私がこの19年の人生で最も強く影響を受けた作家です。とはいえ全作品を読んだわけではなく、ファンと名乗るのは烏滸がましいような気もするのですが、とにかく私は彼の各作品が好きで好きでたまらないのです。

去年の夏、ようやく、長年探し続けたナポレオン狂を手に入れることができました。表題作を読んで電車内にもかかわらず爪先をぎゅっと握り込み、本を持つ手にも力が入ってしまいました。阿刀田高はやっぱり最高なのです。大好きな文章でした。


彼の文章に触れたのは母が私に彼の著作を譲ってくれたのがきっかけです。15冊ほどの文庫本、来る日も来る日も読み続けました。読み終わると何度も何度も読み返しました。私の性格が歪んだのは多分ここからだと思います。しょうがないね。ブラックジョークを中学生から読み続けると性格が歪みます。気をつけようね。


1つ悲しいことがあるといえば、読み込みすぎた結果、新しい作品を読んでいても途中で「こんなオチだろうな」と予想ができるようになってきてしまったことです。そしてさらに悲しいことに九割の確率でそれは当たっています。

それでも私は彼の文章が好きだし、彼の文章を参考にし続けるし、尊敬する作家を挙げろといわれたら一番最初に彼の名前を挙げるでしょう。


創作として文章を書く人は、誰しも一人、あるいは一つは影響を受けた作家や作品が存在するんじゃないでしょうか。それはとても素敵なことだと思います。

それは昔出会った作品かもしれないし、つい昨日本屋で見かけた本かもしれない。それに一つとは限らない。

現に私は高校生の時に読んだ桜庭一樹の「私の男」を読了したときあまりに素晴らしくてショックを受けましたし、大学生になってから品田遊の「止まりだしたら走らない」を読み終えたときには膝を打って部屋を走り回りたくなるほどでした。この二人の作品もまた今の私の文章をつくっているといっても過言ではありません。


それでも、一番って特別ですよね。

新刊が出たらすぐに買うわけでもないし、いつも情報をかき集めているわけでもないけれど、手に入れば心の底から嬉しいし新聞の記事を書いていたら丁寧に切り取りたくなる。好きってそういうことじゃない?

 

 

私の好きな作家はいつだって最強だし、その最強の作家に影響を受けてる私だって最強なんです。誰だって好きな人は最強だからね。だれかのこと好きな誰かも同じように最強なんです。

 

だからお願いなので阿刀田高の作品を読んでくれ。

馬鹿でかいケーキで振り向いてくれるなら苦労しない

こんにちは、精神をおかしくしかけた荻野です。数名の知人にかなり心配されましたがなんとか命をつないでいます。


すみません、どうしてもメンタルがきつくてしょうがないので今日は私がやってるソシャゲの話をします。本当はあまりしないようにしたかったんですけど、2回泣くくらいには精神がボロボロなので本当に許してください。

 


以前からのフォロワーはもちろんのこと、最近フォローしてくださった方も私が「Fate/GrandOrder」(以下FGO」というゲームをプレイしていることはご存知かと思います。

他のソーシャルゲームのようにFGOもガチャが存在します。そして実装済みのキャラクターは全てガチャで常時排出されるわけではありません。期間限定でしか排出されないキャラクターも数多く存在します。

私の好きなキャラクター「巌窟王 エドモン・ダンテス」(以下巌窟王)はそのうちの後者に分類されるキャラクターです。期間限定でしか排出されない上にレアリティは最高の星5。お分かりの方もいらっしゃるでしょう。地獄です。


巌窟王は昨年の一月下旬から二月中旬までピックアップされており、ピックアップ最終日は2/8でした。つまり一年四ヶ月程度は復刻されていません。かなしいかな私は受験が終わるまでFGOを始めないと心に決めていたので(ハマることは目に見えていたから)アプリをインストールしたのは2/25でした。私がFGOを始めて以降彼のピックアップは来ておりません。


一目惚れと言われたら首を傾げてしまうのですが、多分そう言っても差し支えはないでしょう。地獄の底まで落ちてくれそうな男が三度の飯と同じくらいに好きなので、そりゃあもう、惚れ込まないわけがなかったのです。あと顔が良い。本当に好き。

何度か見目麗しい女性に惹かれて石を溶かしましたが丸々一年、彼のためにガチャ石を貯め続けました。2018年5月31日時点で1254個あります。FGOは30個で10連が回せるシステムなので、ほぼ420連回せる計算です。およそ7.5万円分の課金と同等の石の数になります。


5/30、ぐだぐだ明治維新(ゲーム内の期間限定イベント)の最終日、イベントの終了と同時にメンテナンスが開始されることが発表されました。

多くのユーザーが「1300万ダウンロード記念のキャンペーンだろう」と確信したと思います。かくいう私もその一人でした。

1200万ダウンロードでこなかったなら、1300万ダウンロードは絶対に巌窟王だろう! 13ってなんか不吉な数字だし! 巌窟王の幸運ステータスは皆無(本当に存在しない)し! そうだろ!! と思っていました。えぇ。18時を迎えて私がゲームのアップデートをするまでは。

 

 

 

結果は皆さんご存知の通り水着サーヴァントのピックアップです。


夏にやれよ。いつも夏にやってたんだから。ふざけているのか? おい!!!!!!!!!!!!!おまえ!!!!!!!!

実を言うと家で本当に泣きましたしなんだったら昨日の夜は食事会に出席したのですがその前の集合時もちょっと泣きました。あと家に帰ってからもちょっと泣きました。意味がわからなかった。

いや、イスカンダルならまだわかるし、ブリュンヒルデも「ちょっと早くない? でもまぁ、復刻までが長かったもんね!」と納得できました。でも水着だよ? まだ梅雨じゃん。ふざけてんの? ねぇ。真面目に考えてた?


たかがソシャゲだと思われるかもしれませんが私にとってはされどソシャゲです。

1.5部であんなに匂わせておいたくせに一回もピックアップしないってなんなの? 巌窟王メインのイベントやってくれんの? くれないでしょ? 船乗りダンテス(ライダークラス)かモンテ・クリスト伯爵(バーサーカークラス)でも配布してくれんの? してくれないでしょ????? マジで意味がわからない。なんでこんなに引っ張る必要あるの? 意味わかんない。本気で意味がわからない。

アプリ消そうとしましたが私が手塩にかけたサーヴァントたちに失礼だし何より頑張ってた私があまりにかわいそうだったのでそのままにしました。ガチャ画面見るのが死ぬほど辛い。

 


多分こんなに文句を言いながら私は巌窟王ピックアップまで石を貯め続けると思いますしまたピックアップが来なくて泣くと思います。テラリン発売記念じゃねーよ新鯖実装より巌窟王復刻をしろや本当に。許さんからな。


まぁ好きだから、しょうがないよね。もうちょっと泣くと思いますが私は今日も健気にFGOを開いてぽちぽちと遊ぶのでしょう。

 


でも、会いたかったなぁ。

君のことずっと呼んでるのに、なんで来てくれないんだろう。

足元を「幸せ」で着飾る

こんにちは、なにかとものが手元から消えていく荻野です。イベントのチケットと家の鍵の場所が思い出せません。一番やばい。

 


着るもので人の気持ちが変わるというのは割とよく言われている話で、スーツを着たら背筋が伸びてしゃんとした気持ちになるし、着るわけではないけれど高校生の制服姿を見ると泣きたくなります。歳をね、感じるんだよ。つらいね。


この間新しくサンダルを買ってもらいました。そんなに高いわけではないんだけれど(とはいえ私の給料から考えると高いので母親には頭が上がらない)、履き心地が良くて、とても軽くて、何より私の好みのデザインなのです。

私は足の甲が広い?のでなかなか好みのデザインのサンダルがなく、あったとしてもすぐに靴擦れを起こしてしまうのでそれらを履くのが少し苦手で、いつもヒールのないぺったんこの靴ばかり履いています。

でも新しいサンダルは私の足にぴったりで、年甲斐もなく「あ、シンデレラみたいだ」なんて思いました。

足のサイズが平均より大きいので、あまりかわいい靴が履けません。いつもそうだから、一目惚れしたサンダルが履けたことが、足にぴったりだったことが何よりも嬉しくて嬉しくてしばらく履けませんでした。美味しいものを後に食べるように、楽しみも後にとっておきたかったので。


つい昨日その靴を下ろしました。やっぱりぴったりでした。着ているのはいつもの服なのになんだかうきうきしました。

大学の手前の歩道橋を降りるのがどうしてか楽しかったのです。着飾るってこんなに楽しいことだったのか、とファッションの力を見せつけられた気がしました。

 


誰かが見てるから、じゃなくて、自分が楽しいから、自分が幸せだから、着飾る。

人目を気にしたおしゃれよりもそっちの方がずっと素敵ですね。

 

(追記 家の鍵もチケットも普通にありました)

 

物言わない作曲家は歳を取らない

こんにちは、最近しょっちゅう寝落ちる荻野です。おやすみ3秒を実演しています。無限に寝られる。夏眠暁を覚えず。

 

 

私の好きなアーティストは私が高校二年生に上がる直前に亡くなりました。お弁当を開きながら昼休みにニュースを見てどうしたらいいのかわからなくなったことを未だに覚えています。彼はそのとき成人したばかりだったと聞いていました。


私は来年成人します。彼と同じ歳になります。それが少しだけ切ないのです。

歴史にifは禁句だけれど、もし彼が今も生きていたのなら、彼は私が成人する時23歳になっていたのでしょう。わたしは来年彼と同い年になります。物言わない作曲家は老いません。物を言う生徒だった私は学生になり、年を重ねています。

私は彼のことを記憶の中で美化しながら老いて生きます。いずれ私は彼より年上になるのでしょう。


iPodを開くたび、アーティスト名をスクロールするたび、彼のことを思い出します。彼の作る曲が好きでした。好きなのです。引退した作家にかける言葉はあるけれど、亡くなったアーティストに向ける言葉は無いのです。だって誰に、どこに宛てたらいいのかわからない。

引退したアーティストなんて両の手で数え切れないほど知っています。もしかするとそのうちの幾人かは亡くなっているかもしれません。でも引退したのなら、きっとどこかで生活しているのだろうと、思うことだってできるのに、ねぇ。

 


ひさびさに彼の曲を聴きました。

好きだなぁ、と思います。きっとずっと好きなのでしょう。

ずるいなぁ、と思いました。だってこの「好き」の感情を向ける相手がどこにもいないんですから。


好きな作品があったなら、その作者には積極的に伝えるようにしているのはそれがあるのかもしれません。自分でもよくわからないけど、エゴでもいいからその人の作品を好きだと思っている人間がいることを私はこの世に記録しておきたい。

 


幸運なことに、わたしは好きな作家に会う機会があります。

あなたの書いた話が好きです、と。

上手く伝えられるかどうかわからないけど、拙い言葉であっても自分で言葉を選んで伝えたいな、と思います。