游々自敵

中身のない話と虚無

物言わない作曲家は歳を取らない

こんにちは、最近しょっちゅう寝落ちる荻野です。おやすみ3秒を実演しています。無限に寝られる。夏眠暁を覚えず。

 

 

私の好きなアーティストは私が高校二年生に上がる直前に亡くなりました。お弁当を開きながら昼休みにニュースを見てどうしたらいいのかわからなくなったことを未だに覚えています。彼はそのとき成人したばかりだったと聞いていました。


私は来年成人します。彼と同じ歳になります。それが少しだけ切ないのです。

歴史にifは禁句だけれど、もし彼が今も生きていたのなら、彼は私が成人する時23歳になっていたのでしょう。わたしは来年彼と同い年になります。物言わない作曲家は老いません。物を言う生徒だった私は学生になり、年を重ねています。

私は彼のことを記憶の中で美化しながら老いて生きます。いずれ私は彼より年上になるのでしょう。


iPodを開くたび、アーティスト名をスクロールするたび、彼のことを思い出します。彼の作る曲が好きでした。好きなのです。引退した作家にかける言葉はあるけれど、亡くなったアーティストに向ける言葉は無いのです。だって誰に、どこに宛てたらいいのかわからない。

引退したアーティストなんて両の手で数え切れないほど知っています。もしかするとそのうちの幾人かは亡くなっているかもしれません。でも引退したのなら、きっとどこかで生活しているのだろうと、思うことだってできるのに、ねぇ。

 


ひさびさに彼の曲を聴きました。

好きだなぁ、と思います。きっとずっと好きなのでしょう。

ずるいなぁ、と思いました。だってこの「好き」の感情を向ける相手がどこにもいないんですから。


好きな作品があったなら、その作者には積極的に伝えるようにしているのはそれがあるのかもしれません。自分でもよくわからないけど、エゴでもいいからその人の作品を好きだと思っている人間がいることを私はこの世に記録しておきたい。

 


幸運なことに、わたしは好きな作家に会う機会があります。

あなたの書いた話が好きです、と。

上手く伝えられるかどうかわからないけど、拙い言葉であっても自分で言葉を選んで伝えたいな、と思います。