游々自敵

中身のない話と虚無

夏を弔う

夏の初めに記事を書いたなぁと思ったら夏が終わりました。こんにちは、荻野です。みなさん有意義な夏休みは過ごせたでしょうか? 私は毎日泣いています。wordに追われながら。

 


夏が死にかけているというのに部屋に風鈴をつけました。風通しが死ぬほど悪い私の部屋につけてもほとんど意味はないのですが、時折吹き込む風に靡いて涼やかな音を立てているのは案外悪くないです。二年前に買っておきながらずっとしまいこんでいた風鈴もようやく日の目を見ました。吊り下げられた金魚の絵が悠々と空を泳いでいます。夏はこれから死ぬ、あるいはもう死んでいるかもしれないというのに私の部屋にはまだ夏が居座っています。


夏は好きです。じとりとした暑さとか、見上げた空の抜けるような青さとか、存外嫌いではなくて、たまに夏バテしたりはするけれど、冬の指先まで悴むような寒さと比べたら私は夏の方が好きだなぁと思います。でも私は冬生まれなのでどうしても夏とは相容れないらしいです。これは多分他の人にはわからない感覚かもしれない。夏のことは好きだけれど、どういうわけか夏に取り残されている気がしてならないのです。


冬に囚われた人生を送っている気がします。夏は私と縁遠い季節だから。マフラーとダッフルコートは好きだけれど、タートルネックは一生好きにならないでしょう。私は白いワンピースが好きだけれど、きっと永遠に着ることがないように、私は夏が好きだけれど、永遠に夏に溶けることはできないんだろうな、と思います。


今年も夏が死にます。冬はいつだって私の隣に居座るくせに、夏は私を置いて死ぬなんてちょっとずるくないですか。

蝉の鳴き声を聞かなくなりました。トマトが枯れました。空の青さが透明ではなくなって来た気がします。

 


今年も夏が死にました。私の部屋には死にぞこなった夏が転がっています。私自身は冬の死に損ないだというのに、まったく、人の家に土足で上り込むなんて、夏ってやつは図々しい奴だなぁ。でもお前のことは嫌いじゃないから、もう少しだけ一緒にいてやろうじゃないか。