游々自敵

中身のない話と虚無

私は作家になれない

こんにちは、最近バイトの賄いがうどんばかりで不服な荻野です。あと前髪が伸びてきました。

 


 プロ作家になれない話をします。いつだってブログは唐突なんだ。でも前回も似たような話をしたので延長戦だと思ってください。

私は周りより少しだけ文章を書くことが好きな人間です。作文とか小論文とかじゃなくて創作の方ね。

筆は遅い方だけど最近またリハビリを始めてぼちぼち書くようになったし、なにより自分が「これが書きたい!!」って強く思ってる作品を書き上げられたときの達成感と満足感はなかなか素敵なのもだと思います。持久走で走りきった後の爽快感に似てる気がする。私は体力がないので持久走の後はいつも嘔吐いてるんですけど。

人並みに本は読むと思うし、好きな作家を上げろと言われたら3人くらいはぱっと浮かぶ。比較的文学や文芸が好きな人間の部類に属しているとおもます。

 


そう、私は文章を書くことが好きです。でもだからといって文章が上手いわけじゃない。

簡潔な文章で読者の想像力を掻き立てることも、豊かな情景描写でその場面を鮮明に描き出すことも、登場人物の心境を臨場感に満ちた文体で書き出すことも、できないわけじゃないかもしれないけど「物足りない」のは事実です。

これは卑屈だからとかそういうのじゃなくて、プロの文章ってやっぱり「美しい」んですよ。無駄がないというか、仮に無駄があったとしてもそれさえも完璧、というか。もちろん、彼ら彼女らの略歴はさまざまな受賞歴で彩られているわけで、一介の文学部生が太刀打ちできるかと言われたらそんなことがあってたまるかという話なわけです。

 


私はズボラだから締め切りを守るとかできないし、「あーこれ書きたいな」って思って、「じゃあ書くか!」って心に決めるまでがめちゃくちゃ長い。たまに金の力で〆切を伸ばすことがある。最悪。

そりゃあね、作家さんだって〆切破る人は破りますよ。でも出す作品がちゃんと「素晴らしい」じゃないですか。私のは「凡庸」な面白みのない作品なのでもうおしまいです。

凡庸で面白みがないって言っても私は私の文章を(私が愛してやまない作家たちを除いたら)世界一面白いと思ってるし、そう思わないと物書きなんてやってらんないし、一定数私の書く文章を気に入ってくれている人も存在するのは事実です。アマチュアの文章を気に入ってくれる人がいるの、すごくないですか? それに関しては私の作品を拾い上げてくれた人に感謝しかないです。

 


話が逸れてしまった。閑話休題

プロ作家にな「ら」ない話をします。

上までは才能がないからなれない話。ここからは才能があってもならない話です。

 


これは私が常々全てのプロに思っていることなのですが、趣味と仕事を同じくしている人はどのくらいいるんですかね。何かが好きだからめちゃくちゃに努力して、努力と才能(というか努力も才能)の合わせ技でプロになる人、多いのではないでしょうか。めちゃくちゃ主観だけど。

それ、すごいなって思うんですよ。

私は自分の生活の中に趣味を組み込みつつも切り離す人間なので、生活の逃げ場、ストレスの発散口が趣味っていう側面が大きくて、だから趣味を仕事にしたら「趣味=生活」になっちゃうんですよね。そしたら逃げ場がない。趣味はあくまで趣味だから楽しいんです。趣味を仕事にしたら、多分それごと嫌いになっちゃう。

だから私は文を書くことを仕事にしたくないし、作家にはなれないしならない。

 


私だって桜庭一樹みたいな作家になりたかったし阿刀田高みたいな文章を書きたかったよ。でも憧れって憧れのままの方がいいときが絶対にあるんだ。追い越せないと思い込んでたものを追い越しちゃったときの無気力感ったらありゃしない。そもそも私に追い越せるほどの才能はないんですけど。

 


あーーー吐き出したらすっきりしました。今日も私は健気にバイトしてきます。私は桜庭一樹にも阿刀田高にもなれないけど荻野未明にはなれるので。私は私の文章をアマチュアなりに書くぞ!

 

(今日の賄いに海老の天ぷらがでたので全部許しました)