游々自敵

中身のない話と虚無

昨晩はカレーを残さず食べた

一年ほど前に好きなアーティストが亡くなった、という記事を書いた。(リンクを貼るのが面倒なのでさかのぼって探してほしい)

今日はそのちょっとした後日談だ。

 

そのアーティストの新曲が昨日アップロードされていた。

というのも、彼の未発表の作品や未完の作品を他のアーティストが完成させたものを集めたアルバムが発売されるのだ。(されたのかもしれないし内容はちょっと違うかもしれない。ちゃんと調べていなくて申し訳ない)

 

すごいことだ。

なにがすごいって、彼はデジタル世界では生きているのだ。

正直な話、実のところ彼が亡くなっているという実感はあまりなくて、だからここ数年、上がりもしない新曲を待ち望んでいた節がある。

最初を齧る程度にしか聴いていないが、あの音は確実に彼の作る音だった。すごい。すごいことだ。ちょっと泣いた。

 

でもこれはきっと、いや、確実に、彼の最後の作品になる。このアルバムを最後に彼の作品は二度と世に出ることはないだろう。喜びの傍でついに現実を叩きつけられてしまったなぁ、とも感じた。あれから三年余りがたった。今度こそは彼がなにも生み出さないことを受け入れられる気がする。

 

デジタル社会というのは不思議なもので、こんな風にもういない人間の作品がいなくなった後に公開されることもある。多分それは、月並みな言い方ではあるが「人は死なない」という1つの形でもあるのだ。頭に残っているだけの思い出はすり減るかもしれないし、伝聞といった形で段々と歪められていくかもしれない。でも、写真や音楽、イラスト、そういったデータは正しくその形を残していく。

これを「死ねない」と捉えるか「生き続ける」と捉えるかは人それぞれだと思うが、決して悪い事ばかりではないのだ。

 

 

わたしの好きなアーティストが新曲を発表した。

わたしはそれが、心から嬉しくてたまらない。