游々自敵

中身のない話と虚無

わたしはインスタ映えを笑えない

InstagramというSNSは、もしかすると私たちの世代にとってはTwitterより身近なコンテンツなのかもしれない。生憎なことに私はTwitterのほうが性に合っているからInstagramを使うことはあまりないが、それでも1日1回はなんとなく開くし、私でさえそうなのだから他の人はもっと開いているし、もっと投稿しているに違いない。違ったら申し訳ないが。

 

今巷を賑わせているタピオカとかいうあの黒いつぶつぶしたデンプンは(悪意のある言い方になってしまったが決して悪意はない、私もどちらかといえばタピオカは好きなほうだと思う)女子高生や女子大生を中心に空前のブームとなっていて、都内各地に専門店があるし、なんから私の大学の近くにもある。

待ちゆく若い女性が手に持っているプラスチックカップは大抵スタバかタピオカドリンクだ。

少し前には可愛らしく飾られたコーンアイスが流行っていたし(多分)、「(インスタ)映え」という言葉をコンセプトにするものは増えている。

 

めちゃくちゃなことを言うが私はInstagramTwitterにおけるハッシュタグが大っ嫌いなので投稿に複数のタグが付いているとめちゃくちゃに萎えるのだが何を投稿するかは個々人の自由なので別に指摘はしない。逆に言えば私がここでアンチハッシュタグ文化を掲げたとしても私が容認している分向こうも何も言えないのである。

と、予防線を張ったところで本題に入りたい。

 

巷で流行りのインスタ映え、その闇として「写真を撮って終わり」というのはよく言われる話だ。例えば先に挙げたタピオカドリンクはプラスチックカップが道端に捨て置かれているだとか、コーンのアイスクリームは一口も食べずにゴミ箱に廃棄されていたとかで話題になったのは記憶にある人もいるだろう。

インスタ映えは負の文化だなんて捉えている人もいるかもしれないが、そこに私は疑問を持っている。

 

そもそもそれはモラルの問題であって、インスタ映えのせいではない。

そういうことをする人は別にインスタ目的であろうとなかろうとポイ捨てはするし食事を残すだろう。

別に写真を撮ることは悪くない。これらの悪評のせいで食べ物の写真を撮ること自体が悪みたいに考える人もいるが、私たちが文化祭でスナップ写真を撮ったり美しい景色をカメラに収めたりするのとなんら変わらないことで、美味しそうなものがあれば別に写真を撮っていい。

 

そもそもさらに言えばインスタ映えを毛嫌いする人はミーハーなものが嫌いな傾向にあるが(ソースは私だ)、ミーハーは別に悪いことじゃないし私だって流行りのバンドの曲は聴いたりするしバズったツイートは見る。唾棄されるべきはミーハーではなく単純にモラルのない人間だ。

 

別にインスタ映えを嫌うことが悪なのではない。ここまで話した私も正直にいえばあんな文化はめちゃくちゃ嫌いだし、インスタ映えが嫌いだからインスタ萎えを狙って食べ終わった皿を上げているしハッシュタグはつけていない。

でも私がインスタ映えを嫌いだということとインスタ映えは唾棄されるべきだということは絶対に混同してはいけないのだ。

だからこれは一種の戒めみたいな話だ。

 

結局のところで何が言いたかったかと言えばテトリス99のスプラトゥーンスキンがめちゃくちゃ可愛いという話に帰結するので、みんなもNintendo Switchを買おう!