游々自敵

中身のない話と虚無

推しが結婚したから我が身のことを考え直した

推しが結婚した。おわり。

とは問屋が卸さなかった。

 

私はフォロワーから「荻野ちゃん、お前の推し結婚したんだけど」と言われたときレンタルスペースのキッチンでバーニャカウダのソースを作っていた。リビングの様子を見に行こうと顔を出したら推しが結婚していた。そんなわけあるかとTwitterを見た。結婚してた。

 

しょ〜〜〜〜じきにいうとめちゃくちゃしんどい。前々から「早く結婚してほしい……」とは申していたがそんな マジで結婚するなんてある? いやしてくれていいんだけど……幸せになってほしい。これは本心。

 

人生で推しが結婚するのは3回目で、私が推し始めたから結婚したんか?と思うくらいには結婚するのだが、この気持ちはいつもいやだなと思う。推しが結婚したことにではなく、知らせを聞いた瞬間に素直に喜ぶことができない自分に対して、なのだけれど。

別に彼らは生きているだけなのに、私は彼らが生きているそれだけで嬉しいはずなのに、勝手に自分で押し付けた理想像からはみでるようなことをされると勝手にこっちは失望してしまう。生きていること以上の高望みをして失望する自分が本当に嫌いで仕方がない。しんどさの原因はきっと理想からはみ出たものを見たことなんだろう。

 

でも私は別に彼らが既婚者であろうとなかろうと落ちる時には落ちていただろうし、むしろ彼らの人生の大きなターニングポイントに立ち会えたと考えたらそれはそれですごいことなんじゃないだろうか。そう考えたらだんだん楽しくなってきた。

 

どうして結婚に踏み切ることができたんだろう? 幸せになってほしいな、否、幸せだから結婚したのかもしれない。愛と恋の区別はまだよく分からないから、私にとって結婚は怖いものだ。一生一人の人間と添い遂げるなんて私にはできそうにないと、思っている。

それを決められるというのは、すごい勇気だと思うし、推しのそういうところはすごく好きだ。

結婚したって別に引退するわけじゃないし、死んだわけでもない。左手の薬指にきらりと光るものが存在するとすれば、それは推しの幸せの証明そのものだ。そう考えると全然悪いことではなくて、なんだか誇らしくなる。私の推しは今多分誰よりも幸せなのだ。そうじゃないなら私の葛藤を返してほしい。

 

しばらくは思い出してため息をつき、「推しは人妻になったのかぁ…………」と実感してぼんやりもするかもしれないけれどそれはそれとして。

 

ご結婚おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。この先のあなたの人生が健やかで、幸せで、素敵なものであり続けますように、と祈らずにはいられないのだ。